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運動のはじまりと広がり

運動のはじまり

 日本固有の領土である択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方四島は、わたしたちの祖先が代々引き継いできた土地であり、これを再びわたしたちの手に取りもどそうとの目的のもとに、根室の地から返還要求の声が叫ばれたのは、終戦の年の秋頃からでした。

 当時の根室町長安藤石典いしすけは、北方四島からの引揚者の援護に全力をあげるばかりでなく、1945年(昭和20年)12月1日には連合軍最高司令官マッカーサー元帥あてに北方領土返還についての陳情書を出しました。これが領土返還の懇請する陳情の第一号であり、北方領土返還要求運動のはじまりとされています。

 この陳情運動がきっかけとなって、翌年には「失われた郷土復帰」への悲願から安藤石典根室町長を会長とする「北海道附属島嶼復帰懇請委員会」が引き揚げてきた島の人たちと根室の人たちを中心に結成されました。


北方領土復帰要請陳情書第1号(写真をクリックすると拡大します)

運動の広がり

 北方領土が占拠されたことは、父祖伝来の地を失うと同時に豊かな漁場までも失ったことになり、経済的な影響も大変なものでした。このようなことから、根室にあがった返還要求の声は、やがて北海道内の各地にこだまし、運動の輪はしだいに広がりをみせはじめました。
 そして、返還を強く訴えるため1950年(昭和25年)11月に、民間団体と道内の各自治体が一緒となり「千島及び歯舞諸島返還懇請同盟(昭和40年4月に社団法人北方領土復帰期成同盟)」を設立させ、また、1955年(昭和30年)5月に出稼漁業者などを含めた元島民の団体として「千島列島居住者同盟」(昭和33年7月に社団法人千島歯舞諸島居住者連盟)が設立されました。
 これらの団体は、政府や国会に対する陳情をはじめ、北海道の各地や道外の各都市で住民大会、講演会、北方領土展などを開催するほか返還要求のための署名運動を展開し、北方領土の返還に対する世論の高揚に努めています。

 昭和20年代の北方領土返還要求運動は、北海道を中心として行われていましたが、その後、サンフランシスコ平和条約の調印や日ソ国交回復などを経て、国民の目も次第に北方領土に向けられ、返還要求運動の灯は、北海道から全国各地に広がっていきました。

 現在では全ての都道府県に、返還要求運動を推進するため民間団体や地方公共団体が一体となった「県民会議」が設置または発足されており、地域に密着した県民大会、キャラバン活動、パネル展の開催、署名活動などの返還要求運動を展開しています。

 また、青年、婦人及び労働団体などのおよそ60の民間団体等が「北方領土返還要求運動連絡協議会」に加盟し、「北方領土の日」の全国大会の開催などの運動を展開しています。

 このように、国民世論が高まってきたことから、国会をはじめ、全ての都道府県議会及びほとんどの市町村の議会でも、北方領土返還の実現を強く求める「北方領土返還に関する決議」が行われています。

 また、主として元島民に対する援護等を行うため、1961年(昭和36年)12月に、「特殊法人北方協会」(昭和44年10月に特殊法人北方領土問題対策協会、平成15年10月に独立行政法人北方領土問題対策協会)が設立され、全国的な規模で北方領土問題の啓発宣伝、調査研究などを行っています。